「たいせつなきみ」 母は私をかばったことが一度もなく、兄や父が私を責めたり殴ったりしているときでさえも止めるわけではなく逆にそこへ加担してくるような母親だったんです。 それが目の前でいきなりドクターに怒り出したんです。びっくりしました。『この子は本当に根性のある子やから、この子が痛いというのは相当痛いはずや。私が転院させる』と言って、本当に移る病院を探してくれました。私は母にかばわれて、初めて親の前で涙を流して泣きました。そのときに私は閉じ込めてしまっていた自分の本当の気持ちを初めて母に話すことができたんです。 母も私から初めて聞く―それは叫びにも似た―言葉に驚き、涙を流し、心から『あんたがいたから死なずに生きてこられた。ほんまにお母さんの子どもに生まれてくれてありがとう』と言ってくれました」
結局、転院した先で、腰の固定関節のずれのため激痛が出ていたことが判明した。と同時にあれだけ悩まされてきた過換気症候群や多重人格障害もぴたりと止んだ。 「日本人って感情を言葉で伝え合うことが苦手じゃないですか。愛していても『愛してる』とは親子でも言うことができない。母もすごくその気持ちがあったけれどうまく表現ができなかった。実は母が育った環境も私と似たような境遇だったんだそうです。親から言われつづけてきた罵声や言葉が染み付いていて、自分の子どもにも思ってもいない言葉をぶつけてしまっていたんです。でも子どもは言葉をそのまま受けとめてしまうんですよね。気持ちってそんなに簡単に伝わるものじゃない。言葉で伝えるということがどれほど大事なことかということに、このとき初めて気がついたんです。このときに歌詞ができたんです。『たいせつなきみ』の歌詞がね」
たいせつなきみ」の詩を読み、曲を聴いた人の感想のなかにこんなものがある。『子どもをもつ世代の人が、喜ぶ歌ですね』。しかし実際には聴く人の多くが10代の少女たちなのだと石田は言う。「それだけこの歌を求めている子が多い」のだと。それはかつて石田が過ごしてきた時間を共有する「傷つき悩める」若者たちが、今もたくさんいるということなのだ。
「でも『たいせつなきみ』というのは所詮は歌なんですよ。聴く人によって受け方が違う。だけど自分の殻に閉じこもったり縛られたりして生きることのむなしさ、それがいかに自分を不幸にしているかということをわかってほしいんです」 「たいせつなきみ」のCDは、(財)日本ユニセフ協会の承認を受けて「アジアの子どもたち支援テーマソング」となっており、その売上の利益は全額ユニセフを通じて募金される。児童福祉に強い関心を持ち活動をつづける石田志芳の思いは国の内外を問わない。 「あまり知られていませんが、ユニセフの設立や活動資金の約8割が日本の貢献によるものなんだそうです。にもかかわらず、日本ではユニセフの活動があまり知られていません。めぐまれない土地や戦時下にいる子供たち――今で言うならイラクの子供たちというのは、想像できないほど厳しい状況にいます。私はそこで日本がユニセフを作る大きな力となったのであれば、もっとこれを応援していくべきなんじゃないかと思ったんです。 私は日本だけでなくアジアやイラクなどのめぐまれない状況下で、抱く人を失ってしまった子供たちをひとりでもたくさん抱いてやりたいんです。抱かれた子供は大きくなって必ず子供を抱けるようになるんですって。私自身はあまり抱かれた記憶がないのですが、それを何とか私が与えてあげたいと思っています。でも海外にいきなり行って子供を抱かせてと言っても無理じゃないですか」 神社の境内にある大とんどの炎の近くには、願い事がすでにびっしりと書かれた台が置かれていた。石田もペンを手にして、そこにこう書いた。『世界制ふく!』。 あきらかに誤字ではあるが、無論その意味は武力によるそれではない。あえて言うなら『東ニ病氣ノコドモアレバ 行ツテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ 行ツテソノ稻ノ束ヲ負ヒ』の精神である。しかしそれでも、石田志芳からすればもの足りない。
「素直に言葉で人に伝えることが大切なんです。だっていきなりイラクに行って子どもを抱いたとして、その子どもは嫌がると思うんですよ。まずは言葉で伝えて、そして歌って、心を開いてもらったら抱いてやることができる。そこで初めてコミュニケーションが生まれるんですよ。私はそのコミュニケーションがほしい。抱かせてほしいというのが私の願いじゃないですか。それに対して結果を出す、努力をするということが私の今の活動なんです。歌うこと、そしてそれを伝えることがね」 今年、石田は自分の生い立ちや歩いてきた道をより多くの人々に伝えるためソロのタレントとしてメジャーに再デビューする決心をし、夢を現実にすべく歩き始めた。
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