僕が生まれた土地は群馬県新田郡という所にある。「袖触りあうも多生の縁」というが、僕が桜井に住むようになったいきさつは、そんな諺どおり、恐ろしくたくさんの偶然が重なった結果だろう。ここ桜井は盆地であることを除けば僕の故郷とよく似ている。僕は一般的に言われる「田舎」が今まで好きではなかった。大学も就職先も都会をイメージしていたが、実際は生まれも大学も就職先もぜんぶ「田舎」である。まるで見えない力で都会から遠ざけられているかのようだった。けれども住めば都。今ではすっかり田舎好きになってしまった。 閑話休題、そんな僕が「伊勢街道を歩く」の記事を書くこととなった。まだ引っ越してからほんの数ヵ月なので何かとわからないことが多いのでご勘弁を。さて、伊勢街道とは「おいせまいり」の道中筋のことをいう。大和からの伊勢神宮道は神宮への最短距離の本街道が主流だという。伊勢本街道とは本来、長谷寺から神宮までの25里を指すらしいが、今回はあえて桜井からスタートすることになった。日本書紀において桜井三輪の檜原神社が「元伊勢」笠縫邑の伝承の地とされていると小耳にはさんだためだ。 檜原神社は大神神社の摂社で真北に位置する。檜原神社は大神神社の磐座が御神体ということで本殿も拝殿もない。あるのは松林の中に三ツ鳥居が建っているだけだが、それがかえって荘厳な感じをかもし出していた。檜原神社から大神神社の道のりの途中で数人の小学生が自転車で通り過ぎて行った。一度は抜かされたが、途中の清めの滝のようなところでさっきの子供たちが水遊びをしていた。こういった自然の中で遊んで育つ子供達は本当に幸せだなあと、うらやましく感じた。さて、せっかく大神神社へ来たのならば本社まで入ってみようと思い、狭井神社の受付で入山の許可を受けようとしたが、あいにく最終下山時刻の30分前になってしまっていたために入れなかった。残念、いつかまた来よう。 大神神社の拝殿は改装中である。あとで聞いたことだが拝殿向かって左の立派な新しい建物は仮社だったということだ。仮社は白昼の中堂々と光り輝いていた。その壮大さに僕は「これが新しい拝殿か…」と早合点して帰ってきてしまったのであった。 ちょっと歩き疲れたので「みむろ」で有名な白玉屋栄寿でお茶を頂くことにした。このお店のメニューは「みむろ」と抹茶をはじめとする飲み物のみである。老舗の潔さが心地よい。しばしの間物思いにふける。 ところで、この道中は伊勢街道の詳細な地図が見当たらなかったので道標がとても重要だった。その昔から立っていたであろう道標が今もこうして役立っている。ごく限られた人にではあるが……。
そんなふうにして三輪の細い路地を縫うようにして進んでいくと恵比寿神社に到着。この神社は、その年の三輪素麺の価格を決める初市が行われる場所だそうだ。境内には三メートル近くありそうな大きな道標があった。この道標、もとは上街道と田原町街道の分岐点である。三輪の馬場から移動したものだそうである。
自転車に乗って三輪の門前町の中を進む。自転車?そう自転車である。三輪から長谷寺への道のりは比較的平坦なコースなので、お寺や神社の境内や走行不可の場所以外は自転車で進んでいる。「歩く」シリーズなのにこれでは反則だ、とのお叱りもあるかと思います。どうかお許し下さい。 さて、その自転車で旧白玉屋栄寿の木造の屋敷や今も現役の今西酒造などの旧商家の前を通り抜けた。門前町の古い街道は雰囲気のあるたたずまいである。なんとも感慨深い。やがて道は門前町を抜け出口橋に出た。この橋を渡ると吉野や多武峰へ行ってしまうので、伊勢街道へは手前の常夜燈を左折しなければならない。つまり、この常夜燈は伊勢方面と吉野方面との分岐点だったというわけだ。分岐点ーそれはつまり「別れ道」である。この先、僕はどんな別れ道に出会うのだろうか。
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