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桜井市の三輪山は、中南和平野部のほぼどこからでも見ることができる。緑深い円錐形の麗姿は、「青垣」と称される大和国中のどの山々よりもことさら美しく、古くから大和の国の守護神として崇敬されてきた。その姿は今の私たちにとっても「桜井のランドマーク」と言っても過言ではない。



 その三輪山麓を起点とする山の辺の道には、周辺の野山や清流が、古代万葉の時代のままのごとく自然の風景が残っている。
 三輪そうめんが生まれたこの地は、小麦の発育に適した肥沃な土壌であったことと、神の山から湧き出る清流、さらに内陸の冷たい空気が乾燥に適していた。
 言い伝えによると「索麺」とか「麦縄」と呼ばれ、当初はかなり太いものであり、保存食として発明されたようだ。

 

素麺の元祖 発祥と伝説
手延素麺の元祖であると同時に「日本の加工食品のルーツ」とさえ言われている三輪素麺。その素麺がいつ頃から作られていたかについて公に記録されたものはないが、素麺発祥の物語は三輪山を御神体とする大神神社と深いつながりを持っている。残されている古い伝承によると、崇神天皇の七年、大物主命の五世の孫、大田田根子命がこの神社の大神主に任ぜられて以来、その子孫が代々その職をついで奉仕していた。その十二世の孫、従五位上大神の朝臣狭井久佐の次男、穀主という人がいた。この穀主は敬神崇祖の念が篤く、大物主の神にまつわる古事記伝説を後世に伝え、この地方の産業を発展させるために素麺を創始したという。これは、いわゆる緒環伝説によって古の奈良時代から伝えられている。
 「神杉」、「緒環」などの素麺の称号もこの大神神社の伝説に由来している。

緒環伝説(おだまきでんせつ) 
昔、三輪のふもとに住む活玉依媛(いくたまよりひめ)のもとに、夜ごとに通ってくる男がいました。媛はまもなく身ごもりました。媛の両親は相手の男の素性を知ろうと、麻糸をつけた針を男の衣服のすそに刺しておくようにと知恵をさずけました。翌朝起きてみると、糸は鍵穴を通り抜け、緒環には3まわりの糸しか残っていません。そこで糸をたぐっていくと大神神社の祭殿にまで続いていたので、男は三輪の大物主命、身ごもれるのは神の子であることを知った、という神話です
 三輪という地名は、緒環に残っていた糸が3まわりだったことから3つの輪で「三輪」となったとも云われています。

水車のあるところ素麺あり
三輪山麓の穴師という集落には三輪山周辺から流れ出る清流にかかる水車が点在し、そのほとんどは三輪素麺の原料となる小麦挽きの水車だった。その名残りか三輪素麺の職人さんは、水車がたくさん回っていたであろう川のそば(巻野内・箸中・金屋・河西など)に多い。残念ながら現役の水車は残されていないが「車谷」という地名が残っている。往時はたくさんの水車がその谷で忙しく働いていたという。

 

手延技法は全国へ
近年の三輪素麺の生産は農家の農閑期の副業で、稲刈りした跡に小麦を蒔き、素麺づくりに取り掛かかっていた。
そのため一年じゅう働かなければならないうえ、極寒手延べは冬の寒い時期に早朝から深夜まで作業がつづく。
三輪に伝わる素麺掛け唄のなかで『三輪のそうめんやは 乞食より劣る 乞食寝もする楽もする』と歌われるほどにつらい仕事だった。しかし冬の寒い朝、三輪山を背景に素麺を門干しする風景は情緒豊かで、これが三輪の冬の風物詩として有名になった。今でも、あちこちの素麺家で門干しする光景が見られる。
 また、素麺を作る農家がちょうど山の辺の道の道程に沿うようにして分布していたため、江戸時代お伊勢参りが庶民に流行する頃になるとこの地に滞在して素麺作りの技術を学ぶ旅人もあらわれ、そうした人々が故郷に手延べ麺の技法を持ち帰り、日本各地に素麺の産地が形成されることになる。
そして三輪素麺が今日のように名声を博したのは江戸時代中期のことで、宝暦四年(1754)に平瀬徹斎の著した「日本山海名物図絵」にはこのように書かれている。
 『大和三輪素麺、名物なり。細きこと糸のごとく、白きこと雪のごとし。ゆでてふとらず、全国より出づるさうめんの及ぶところにあらず。―中略―三輪は大己貴のみことの神社あり、御神体は山にて鳥居ばかりにて社はなし。参詣の人多きゆゑ、三輪の町繁盛なり。旅人をとむる旅籠やにも名物なりとてさうめんにてもてなすなり』

技法へのこだわり
手延三輪素麺の技法は原料が単純であるがゆえに奥が深い。練りを重ね、じっくりと熟成を繰り返さないとあの一番の特徴である粘りとコシは出ない。最近では機械延べも改良されてきているようだが、機械で造るものにはできない手作りだけのなせる技なのだ。大和の三輪素麺はその古式手延を守り続けている代表といえる。
三輪素麺は桜井市内はもちろんのこと、奈良市・山添村・御杖村・東吉野村・川上村・野迫川村・十津川村などでも生産され、こだわりをもった素麺職人がたくさんいる。それぞれの職人がそれぞれの持ち味を生かし、独自に改良を加えて美味を探求し続けている。たとえば吉野地方では、名産である吉野葛を早くから取り入れ、独特の歯ごたえと喉ごしの麺を作り出した。他にも原料にこだわるなど個性的な品々がある。伝統食材とはいえ安穏とものづくりに携わっているわけにはいかない。
 数々の伝説、歴史・風土に抱かれ、親から子へ、子から孫へと受け継がれてきた三輪素麺だが、先人が残した礎のうえにあぐらをかかず、創意工夫と切磋琢磨を繰り返し、時代の嗜好に合わせて改良を行ってきた職人の心意気があるからこそ今日まで発展を遂げて来た。彼らの想いはひとつ、うまい素麺を作ること。
 扇風機の前で、だしをたっぷりとったツユで音高らかに素麺をすする夏。三輪の歴史と伝統産業支えてきた人々に思いを馳せれば、またひと味違って来るだろうか。麺の一本一本を大切に、繊細で端麗なる味をじっくり楽しみたい。

 

 

 
 
 
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